改正国民投票法が6月11日成立しました。6月12日の各紙朝刊は一面トップで扱っています。先の委員会議論でこうなることは察しがついていたとはいえ、じわじわと不安が涌いてきます。各紙の記事を読んだ限りでは、野党の手練手管が功を奏したかどうかはわかりません。これからボディーブローのように効いてくるのかもしれません。明確なのは与党の狙いは9条改正が本丸で賛同者をじわじわ増えるということです。緊急事態条項も改憲項目として挙がっています。これも俎上に挙げて膠着状態の中、取り下げバーターにするくらいの絵図はあるかもしれません。銀行員で詩人の石垣りんさんの「挨拶 原爆の写真によせて」の詩を読みました。1952年8月5日に銀行の組合から寄稿依頼を受けその場で1時間くらいで書いたそうです。この年4月はサンフランシスコ講和条約が発効され日本が完全独立を得て、原爆被害の写真の公開規制が解除されました。銀行の組合は壁新聞に原爆被害の写真を掲載するにあたり石垣りさんに詩の寄稿を依頼したのだそうです(詳しくは6月12日 日本経済新聞 「この父ありて 梯久美子著 詩人 石垣りん ➃」)。詩全文を掲載します。
挨拶 原爆の写真によせて あ、 この焼けただれた顔は 一九四五年八月六日 その時広島にいた人 二五万の焼けただれのひとつ すでに此の世にないもの とはいえ 友よ 向き合った互いの顔を も一度見直そう 戦火の後もとどめぬ すこやかな今日の顔 すがすがしい朝の顔を その顔の中に明日の表情をさがすとき 私はりつぜんとするのだ 地球が原爆を数百個所持して 生と死のきわどい淵を歩くとき なぜそんなにも安らかに あなたは美しいのか しずかに耳を澄ませ 何かが近づいてきはしないか 見きわめなければならないものは目の前に えり分けなければならないものは 手の中にある 午前八時一五分は 毎朝やってくる 一九四五年八月六日の朝 一瞬にして死んだ二五万人の人すべて いま在る あなたの如く、私の如く やすらかに 美しく 油断していた。
1945年8月6日午前8時15分は広島に原爆が投下された日時です。憲法9条の改憲議論が、この詩の最後の段の事態とならぬよう私たちは自らを律しなくてはならないと感じました。新聞記事の中で、気になるというか「そうだな」と頷いたところがありました。読売新聞の「論点スペシャル 改正国民投票法 次の課題」に登場した元参議院議長江田五月さんの言葉です。今の国会議論の在り様を嘆き、「政界では今、憲法に限らず、国家観や日本の針路を踏まえた懐の深い議論ができる政治家が少なくなったと感じる。大学の試験の答案を書くような細々とした議論をしているようではダメだ。・・・」と続いています。もっともだと思いますが、擁立して選ぶ方の責任もあると思います。かつての日本社会党鈴木義男衆議院議院の様な方の再来を待つしかないのでしょうか。